2012年02月10日

県民講座「障害者の人権」に参加しました。

平成24年1月21日(土)に
福岡県人権啓発情報センターで行われた
特別展の県民講座に参加しました。

この特別展は今年で32回目になりますが、
今回のタイトルは
「支え、支えられ、共に生きる、絆むすぼう」となっています。

私はこの日「障害者の人権」という県民講座を聴きました。

この講座の講演者は、社会福祉法人こぐま福祉会理事長で
久留米信愛女学院大学非常勤講師の大熊猛さんでした。

大熊さんは、長年幼児教育の仕事をされて来ましたが、昨年3月東日本大震災の時は
被災地の施設の子供達と全然連絡が取れず、テレビのニュースを見るしかなかった
との事でした。

その後、10日過ぎて高齢者、病人、子供達の事が分かったそうで
すが、大熊さんは

①動けない、身体不自由な人(ねたきり、車いすの人)
②言葉が出ない人(自閉症の人など)
③状況が理解できない人
④環境の変化に対応できない人

といった障害者の皆さんの事を心配したそうです。
その後施設は全滅し、子供達の何人かは津波にさらわれ、
情報がほどんど入らない中で、自閉症の子供達30人~40人の
集団生活が始まりました。

子供達の中には、食物のこだわりから集団生活ができない子供も多く、
夜は眠れずパニッックになり、このような状況の中で絆、みんなで
助け合う事が求められました。

大熊さんはこのような震災の時以下の事が重要との事でした。

①子供達の生命維持に備えた医療的配慮
②子供達の個性、特徴、課題の整理
③本人の事(個性、特徴)を多くの人に知らせる。
④子供達との関わり方のポイント
⑤連絡カードの工夫。

震災の時は薬が不足して皆困った状況でした。
そのような状況の中で何とか生き延びた子供もいました。

昔は障害児を持つ親は色々な問題を隠していましたが、
今は障害児も医療的フォローが受けられ、
学校にも一人で通学できるようになっています。

また育児環境も核家族、少子化、子育て機能の低下、
生活体験不足なとで変化しています。
このような環境の中で求められる地域の障害福祉として

①地域で、在宅で
②障害種別を超えて(人間として全ての事を総合的に)
③格差のないサービスと質の向上
④選べる施設と機能
⑤生活の質(QOL)の向上

などですが大熊さんは現在、福岡県八女市で廃校になった
小学校の校舎を利用して、障害者の生活の場としての
福祉施設みんなの館を経営しています。

この施設は久留米市の高良山のふもとにあり、晴れた日には
有明海が見えるランチルーム、理科室、家庭科室、色々な事ができる
アリーナ棟などがあります。

長年、幼児教育の仕事をされた大熊さんの今後のご活躍と
このような施設の更なる充実が望まれます。

みんなの館(福岡県八女市上陽町下横山2110TEL0943543900
FAX0943542207)<平成24年1月28日午後8時30分>

(平井直子)


講演会「母になった私の働き方」に参加しました。

福岡市男女協同光画推進センター・アミカスでは、
男女共同光画の推進に取り組む市民グループのさまざまな活動を、
年間を通して応援しています。

少し前になりますが、昨年11月23日(祝)に、そのアミカス市民グループ支援事業の一つ、

「母になった私の働き方」

と題した講演会&ワークショップに行ってきました。

主催は、女性のバランスの良い生き方を考える市民団体「バランス・ママン」。
託児も用意され、祝日にかかわらず多くのママたちが集まりました。

講演会の講師は、「子連れ出勤」をして話題を呼んだ起業家、光畑由佳さん。
おしゃれな授乳服の企画販売を手がける
有限会社モーハウスhttp://www.mo-house.net/の代表です。

光畑さんは、自らが関東の電車の中でやむを得ず赤ちゃんに授乳した体験から、
「産後の新しいスタイル」を提案するために、授乳服の制作を始めました。

赤ちゃんに授乳するのは、人間として自然な行為なのに、公共の場ではヘンな目で見られ、
授乳室付きの施設を探すのも一苦労。それが億劫でお母さんたちは外出することをあきらめてしまう…

何かがおかしい。
それなら、授乳中でも外出が楽しくなりイキイキできるような服を作ってしまおう!
というのが発想の発端です。

光畑さんが起こした「モーハウス」は授乳服を製造販売しているだけでなく、
女性の無理のない働き方を実践しています。それは、特別な託児所も託児スタッフもいなく、
普通に子どもと出勤するというスタイル。
子どもの成長に合わせて仕事のボリュームを調整できる働き方です。

この子連れ出勤をアピールするために、あえて東京青山のメインストリートに青山店を出店。
子連れで電車に乗って、出勤する女性の姿は、マスコミ各社から大きく取り上げられました。

この度の東日本大震災では「帰宅難民」という言葉も生まれ、多くの働くお母さんたちは
子どもたちが在宅のため、仕事を休まざるをえなかったといいます。
ところがモーハウスでは、「子どもと一緒に出勤できるから、問題ありません。
かえって一緒にいられて安心です」と、社員の皆さんが出勤してきたそうです。

子連れ出勤、短時間勤務が可能な裏には、
「子連れであろうがなかろうが、職場は仕事をして個々の責任を全うする場所」
という光畑さんの考えがあります。短時間であってもそれぞれが、与えられた任務をきちんと全うしているので、独身の人からの非難はないそう。

「こうでなければならない」という勤務体制を取っ払って、子育て期の大変な時は柔軟に対応、
それが落ち着いたら時間を増やして働く…こんな働き方がどの会社でもできたら、
女性が出産のため退職を余儀なくされることが減るのでは、と思います。

「育児と仕事の両立」は長年の課題ですが、光畑さんが実践する働き方に一つの光を見ました。

~~~~~
後半は、光加者同士でグループワークを行い、産業カウンセラーのアドバイスのもと、
「○年後の自分のライフスタイルによる時間の変化」をシミュレーションしました。

「今は育児時間で一日が埋まっている」という、若いお母さんは
「あと、5年もしたらかなり自分の時間ができる」と目を輝かせていました。
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2011年11月14日

男女共同参画と地域防災・災害復興

2011年11月11日福岡市女性センターアミカスで開催された
講演会に参加しました。

この講演会は、
「福岡市男女共同参画を推進する条例をくらしに活かす市民の会」が主催で、
「男女共同参画と地域防災・災害復興」
という題で講演が行われました。

講演会では、日本各県の男女共同参画の内容が紹介されました。
その中から福岡県の事例を紹介します。

福岡県には、福岡県防災会議がありますが、平成23年は委員52名中
女性委員1名となっており、委員に占める女性の比率は1.9%です。

福岡県地域防災計画は、2005年に修正され、
福岡県男女共同参画計画の女性のニーズに対応するために、
防災会議の委員65名中、女性委員は3名となりました。

現在、福岡市では女性消防団員を増やす傾向にあり、
福岡市消防団員2602名中、女性177名と女性の割合は17.2%
となっており、女性消防団員は各分団に所属して、
各自主防災組織を運営しています。

2011年東日本大震災が起こり、多数の市民が被災しましたが、
地震の復興対策として男女共同参画の観点から、
市民・行政・民間団体といった企業・NPO団体の協力による
市民一人ひとりが主体となった復興政策が望まれます。

そして、現在福岡市の市民活動でも被災地支援、東日本大震災、
地元の防災まちづくり、市民個別の対応に対する取り組みが行われており、
男性・成人・健常者を対象とした要援護者への対策、男女双方の視点に
立った取り組みが期待されます。

<平井 直子>
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2011年10月05日

スーダンと東日本の被災地で大活躍!川原尚行さんの講演会に行きました!

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<当日のポスター>


外務省の医師を辞め、アフリカのスーダンに身を置き医療活動に励む川原尚行さん。
NPO法人ロシナンテスhttp://www.rocinantes.org/(北九州市)の理事長です。この度の東日本大震災では、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区にて支援活動をされています。

世界を股にかけ活動する同氏の講演会が9月18日福岡市中央区民センターであると聞き、小学生の娘、中学生の息子も含め家族総出で聴きにいってきました。
主催は、日野原重明医師が率いる「新老人の会」九州支部の方々です。

初めて川原尚行の存在を知ったのは、人気テレビ番組「行列のできる法律相談所」でした。ゲストとして招かれた、川原尚行さんの確かな行動力と懐の大きい笑顔に引きこまれ忘れられない存在に。実際、お目にかかってもそのままの方。「こういう人を本当の九州男児と言うんだなあ」と感心しきりでした。

さて、講演の内容をピックアップ。
東日本大震災が起こった3月11日、川原さんはたまたま東京におられました。被害を知った途端の行動がすごい!知人のつてで救急車を借り、途中米や水などをもらいながら、山形県酒田市(日本海側)経由で名取市に入ったそうです。

避難所の小学校は風邪・インフルエンザが流行る環境でした。「みんなが笑える環境を作ろう」「喚気をしながらラジオ体操しよう」「段ボールに絵を書いて行こう」「コンサートをしよう」と川原さんは次々行動していきます。

1カ月もたつと花見のシーズンです。「本格的な花見をしよう」とがれきの山に桜を植え、東北の名酒を手に入れ、花見をすることに。川原さんは生きる希望を失いつつあった80歳のおじいさんと「20年後(100歳)にまたここで花見をしよう」と約束しているそうです。

支援活動中、多くの方が「いつまでおられるのですか」と心配になられます。
川原さんの答えは「皆さま方が元気になるまで」。約束は必ず守る人なのです。講演の後も、東京を経由して名取市に入って、みんなの様子を見に行くといっておられました。

講演中の映像で日本に招かれたスーダンの子どもたちが、名取市の子どもたちと運動会をするシーンがありました。言語も肌の色も違うけれど喜びは同じ、リレーでは多いに盛り上がっていました。
そしてなんと、貧しい国のスーダンから20万円の義援金が日本の被災地に届けられたのです。これは、すごい金額です。ありがたいことです。
スーダンの子は、「日本の被害が悲惨」と涙を流し、日本の子は「スーダンは内戦で大変」と涙を流しています。川原さんは「大人は場を作ればいいだけ」と子どもたちに託しています。

主催者が集めた募金、会場での募金を合わせ、当日100万円以上がロシナンテスに届けられました。使い道のよくわかる募金に想いを託し、私たち家族も募金をして家路に着きました。
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<募金を受け付けするスタッフ>

2011年08月23日

田中好子追悼上映会「黒い雨」

8月19日福岡市女性センターアミカスで、

田中 好子追悼上映会「黒い雨」を

見て来ました。

1945年8月6日広島に原爆が投下され、主人公ヤス子は郊外の疎開先で
黒い雨を浴びます。それから数年後ヤス子の元には縁談が持ち込まれますが
いつもピカに遭った女という事で縁談は破談になります。

ヤス子の叔父は、ヤス子が原爆症ではない事を証明しようと健康診断書を
発行してもらいます。

そしてヤス子の元にヤス子と交際したいという男性が現れ、
二人はお見合いの後、交際しますが、ヤス子はその男性に
自分はいつ原爆症の症状が現れるか分からないと話して、
この縁談もだめになります。

ヤス子は、亡くなったキヨ子姉さんの娘で、叔父叔母夫婦は
自分達の生きている内に、ヤス子の花嫁姿を見たいと何とか縁談を
まとめようとしますが、その後叔母が原爆症で亡くなります。

そしてヤス子の元に、近所のユウイチという男性がヤス子を嫁に貰いたいと
申し出てヤス子はユウイチと交際する事を決意した後、原爆症の症状が出て
床にふせるようになります。

この映画はヤス子の叔父が遠い山の向こうに虹が見えると、
ヤス子の人生に希望を託す所で終わります。

戦争と原爆の悲惨さを描いたこの作品は、井伏鱒二の小説が
原作です。

主人公ヤス子を演じた女優田中好子さんのご冥福をお祈りします。

2011年07月28日

地域を絵画で表せたら

三潴郡大木町のこっぽーっと図書・情報センターの外壁に、一時期飾ってあった絵画です。初めて見た時、どこかの国の画家の作品だろうと思いました。
でもよく見ると、女性の背景には日本的な田園風景が描かれています。

この絵のタイトルは「過去・現在・未来・そして見つめる」
大木町在住の画家、松永潤二さんの指導で、町民で構成された「こっぽーっと壁画作成委員会」の方々により描かれた作品です。
大木町の形は人の顔に似ているという意見から、構図が決まったそうです・
地図で大木町を見ると、この女性の頭から顔の形になっている事に気づきます。

女性の髪の先端には町章が、髪飾りには大木町特産のエノキタケやイチゴなどが飾られ、イヤリングには町木の銀杏、ペンダントにはひしの実など、すべてが大木町づくしです。

一番印象的なのは、背景に大木町の田園風景が描かれている事、女性の背中側では水車が回り、女性の前に流れる堀では、ひしの実の収穫が行われています。まさに大木町ならではの光景です。何故か、女性とこの田園風景がマッチしていて、絵をずっと見ていると、心が癒される感じです。

2011年06月18日

見習いたい、デンマーク人の「子どもの叱り方」

「しあわせの輪」では、毎号「世界のふくし事情」と題し、さまざまな国の福祉にまつわる話を掲載しています。(このコーナー、2011年夏号ではお休みし秋号から再開します)

2011春号(Vol.96)では、福祉先進国と言われるデンマークで子育て中の京都市出身の女性・さわひろあやさんに執筆いただきました。

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↑デンマークの国旗

さわひろさんと私は同じ京都市の出身で、7,8年来の知り合いです。
出会った当時、彼女はまだ大学院生。自身の研究のためデンマークに留学されるとのことで、あっという間に出発されたのを覚えています。
その後“大阪弁を話せる”デンマーク人のご主人と結婚され、現在、デンマークで2児の子育て真っ最中です。

「まだ載せていない、北欧の福祉事情を是非載せたい」という編集部の声を受けて、「生の声なら、まさに彼女!」と紹介しました。

ここでは、彼女から聞いた心に残ったお話を紹介します。
デンマーク人のご主人と日本人の彼女とは根本的に「叱り方」が違うそうなのです。

子どもがどうしても言うことを聞かない、いわゆる“ごねた”時。
日本のお母さんの多くがそうであるように、やっぱり、彼女も大きな声で叱って、「外に出て行ってもらうよ」「鬼さんが出るよ」など「脅して」しまうそう。
(私も恥ずかしながら、いつも怒鳴っては脅してしまいます、涙)

ところが、デンマーク人のご主人は、最後まで感情的に叱らず、静かにさとして納得させるそうなのです。脅すなんてもってのほか、だそう。

そして、この2通りの叱り方で、どちらが子どもに効き目があるか?というと…。
圧倒的にデンマーク人のご主人の方だそう。お父さんの叱り方の方が、子どもも言うことを聞き、お子さんからも支持されているようなのです。

このエピソードは身につまされます。

日本では、昔から「鬼が出るよ」というのは常套句。
子どもへの脅しのために「鬼」という架空の生き物がいたような気もします。
架空の鬼より、「鬼のような顔のお母さん(お父さん)の方がもっと怖いよね」とこのコラムを書きつつ、反省しています。

公共の場面でも、デンマークの方々が子どもに声を荒げることはなく、どんな小さな子どもでも言葉で説得しながら、叱っているそうです。

ちなみに、デンマークでは「体罰」は法律で禁止されています。学校は当然のこと、家庭でも子どもに手をあげることはタブー視されています。

自国の独自の文化は大切にしつつも、他国での良い部分は取り入れたいものです。

2011年05月24日

被災地で響く♪歌声  「証」と「あすという日が」

今年度のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲は、4人組バンドflumpoolの「証」と言う歌でした。
メンバー2人による作詞、作曲です。

それに関してのNHK番組「Nコン2011マガジン また仲間達と歌いたい 中学生をつなぐ「証」」

は、とても心に残りました。

♪前を向きなよ 振り返ってちゃ 上手く歩けない
遠ざかる君に手を振るのがやっとで

Nコンマガジン(5月5日放送)では、flumpoolが、東日本大震災の被災地を訪れて歌い、
中学生達も歌うシーンが映されました。

地震、津波、原発の被害を受けて仲間達と別れた中学生達、
また仲間達と会って歌いたいという気持ちを込めて

♪前を向きなよ 振り返ってちゃ 上手く歩けない・・・

と歌っていました。聞いてると自然に涙がこぼれました。

「証」は、NHKみんなの歌7月、8月で放送されます。
歌詞がとても心に染みます。


またNHKニュースでは、自らも被災して、
合唱コンクールに参加することが出来なくなった中学生達が、
避難所の体育館を訪れて

♪「あすという日が」

を歌っている姿が報道されました。

♪大空を 見上げて ごらん
あの 枝を 見上げて ごらん・・・
・・・・・
「あすという日があるかぎり しあわせを信じて」(最後のフレーズ)

被災者の方々は、あすという日があるかぎり、
しあわせを信じて生きて行こうと涙を流して聞いていました。


今は震災によって離ればなれになっている友達や家族と再開し、
しあわせに暮らせる日が、一日も早く来ることを願ってやみません。

2011年04月28日

谷川俊太郎さんがやってきた!『被災者支援 チャリティーコンサート』

4月16日、詩人の谷川俊太郎さんをゲストに迎えたチャリティコンサートがあり、
パイプオルガンで有名な西南学院大学チャペルに行ってきました。

谷川さんのトークや詩の朗読、すがすがしい歌声のコンサートに、
胸がいっぱいの1日になりました。

さて、同コンサートは、実は急きょ決まったものでした。
全国でも先進的な高齢者介護施設である「宅老所よりあい」さんが
20周年を迎え、もともと16日は記念祝賀行事のセミナーと
、詩人の谷川俊太郎さんと息子さんの谷川健作さんのバンド「DiVa」の
コンサートの開催が予定されていました。

そんな時、大震災が起こり、とても祝賀のセミナーを開催する気にならなくなった
スタッフたち。やむなくキャンセルも考えていたと言います。

谷川さんとも相談されるなか、「詩と音楽でみんな元気になれたら」
「今だからこそ、詩と音楽の力が必要では」と言う意見が活発に。
急きょ、犠牲者の方々のご冥福を祈り、被災者のみなさんの生活を
応援する為のチャリティコンサートに変更されたのです。

約100名の開催呼びかけ人は3日間くらいですぐ集まったそうです。
そして、チャペルの定員850人はあっという間に満杯に。
新聞を見て、当日直接行った私は一旦は入場制限に引っ掛かり待機。
開演直前にやっと入場できました。


以下、当日の要綱です。
『東日本大震災被災者支援チャリティーコンサート』
第一部 ・詩人 谷川俊太郎さんに聞くトークショー
    ・地元ミュージシャンによる演奏(オカリナ・サックス・三線など)

第二部 ・谷川俊太郎さんの朗読
    ・谷川俊太郎さんとDiVaコンサート

【事務局】宅老所よりあい 福岡市中央区地行1-15-14  
 http://d.hatena.ne.jp/yoriai2/ 
【主催】 チャリティーコンサート開催よびかけ100人会


会場では、熊本学園大学の学生さんたちが義援金箱を
持って立っていました。
「避難所の固い床で高齢者の皆さんに床ずれ防止の高反発マット」を
1枚でも多く送る目的の義援金です。

あっという間に箱がいっぱいになっていきました。
また、入り口で売っていた書籍類の10%は義援金に充てられました。

谷川さんの詩を直筆で記した色紙5枚はオークションにかけられ、
1枚最高15,000円の値がつきました。

教科書で谷川さんの詩を知って会いに来た、東区の小学生まりなちゃんが
お気に入りの詩の色紙を落札しました。
「おこづかいの中の100円でもいいよ」と司会者。
すると、谷川さんが「僕が1万円で色紙を買って、あなたにプレゼントしましょう」
とおっしゃったのです。
一同大きな拍手が沸き起こりました。

有名な詩を谷川俊太郎さんご本人が朗読されている姿。
DiVaの清々しいサウンドと歌声。
とてもおしゃれなボサノバ風のアカペラ「鉄腕アトム」(谷川俊太郎作詞)。
会場のあちこちで涙が見られた、感動的な地元ゴスペルグループの歌声。

被災者の方々に届けとばかり、みんなの熱い思いが響き渡ったチャペルでした。


2011年04月18日

アイ・ラブ・ピース

4月16日アミカスビデオシアターに行きました。

この日の上映作品は
「アイ・ラブ・ピース」です。
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ストーリーを紹介します。

タリバンとの戦争で、アフガニスタンは戦火の中にあり、
アフガニスタンの少女パリサットは地雷を踏んで片足を失います。

それ以来彼女は心を閉ざし、学校にも行こうとしません。そして
アフガニスタン復興支援のため日本からNGOのスタッフが派遣されます。

スタッフの一人花岡いずみは島根県松江市大森の会社中沢フレンズで
働くろうあ者で立派な義肢装具士になることを目指しています。

そして、会社の先輩とアフガニスタンに来ますが、心を閉ざした
パリサットの義肢を作ることは出来ず、10日あまりの滞在で
二人は日本に帰ります。

その後、パリサットが日本にやって来ます。
そして、いずみは彼女の義肢を作成しますが
パリサットはどうしても杖を離して歩こうとしません。

そんな彼女をいずみは、
「私もろうあ者でつらいこと、悲しいことはたくさんあるけど、
それに負けてはだめ。自分の足で立ちなさいと励まします。」

その励ましによってパリサットは自分の足で立とうとするのです。

そして1年後、パリサットが学校に行き始めた頃、いずみが再び
アフガニスタンを訪れます。

戦争の悲惨さと平和の尊さを考えさせられる作品でした。

<平井直子>

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